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「『書』を書く愉しみ」に潜む誤り
資料も多く調べつくされているはず、そして書道家であればきちんと学んでいるはずの書道史であるが、新書のこの章には非常に多くの誤りが確認できる。
であるにもかかわらず、この新書は「全国の試験問題に採用されています」と公式サイトで紹介されている。これらが、もし本当に高校の試験問題やテキストに使われているとしたら、相当問題があるだろう。
ここで書道関係者である「涜迷様」のご協力を得て、少し詳しく、かつ書道になじみのない人でもわかりやすいように、その誤りを見てゆきたい。
願わくば「『書』を書く愉しみ」を手に取った人々が、全ての内容を盲目的に鵜呑みにせず、疑いつつ読んでいただければと思う。
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(なお78,79ページに数回「甲骨」という単語が現れるため、単なる誤字ではないと思われる)(p78)
-絵画から文字へ-
甲骨文字は読んで字のごとく、亀の甲骨に文字を刻んだものです。
甲骨文字というのは正確には「亀甲獣骨文字」の略称であり、亀の甲羅と獣の骨(牛の肩甲骨など)に刻されているために「甲骨文字」という。亀に「甲骨」なるものがあるのではない。おそらく双雲は亀甲獣骨文字という書道家であれば当然知っているはずの言葉すら知らないために、「亀の甲骨」などと書いてしまうのだろう。
(注:なお、最近出版された「書本」に掲載された漢字の歴史の部分では、「甲骨文字」について「亀の甲羅や獣の骨」と正しく記述されている)
(p78)
同時期(甲骨文と同時期の殷代)に甲骨文字と異なる文字が存在しました。それは金文【図版18】と呼ばれる文字で、金属に彫られたことからそう呼ばれます。
殷代の金文の説明をしているのに、その【図版18】には、それから千年近くも時代の下った戦国期の全く別系統の文字資料、【江稜の楚暮より出土した鉾銘】を挙げるという荒行をしでかしている。しかも正しくは「楚墓」であるところを「楚暮」と誤っている。
これは双雲の古代文字に対する理解度が極めて低い事を意味し、書道家として失笑もの、問題外である。
(p78)
殷代の金文は多くとも一○字で、主に神の名前を印すのみがほとんどでした。写真を見ても分るように…
何を以って神の名前のみと言及したのか定かでなく、またそんな説は今まで聞いた事がない。通説としては部族の世襲の職能やトーテム的な動物類を記したものだろうと言われており、神の名前とは勝手な解釈もはなはだしい。
しかも殷末の青銅器「小臣(舟+余)犠尊」などでは、もう数十字の銘文体のものがしっかりあり、「多くとも十字」などという根拠はどこから出てくるのか分からない。多分これも殷初の図象文字をさして、殷の全ての金文と勘違いしているものと思われる。
さらに「写真を見れば分るように…」とあるが、図版18の鉾の文字は「呉王夫差自作用(金+於)」と見えるもので、呉越同舟や臥薪嘗胆の故事成語でも有名なあの呉の王様夫差が自らこの鉾を作ったものであり、全く神様の名前などではなく、完全に時代関係が混乱している。
「すぐわかる中国の書」(可成屋著、東京美術)でも「(殷代・金文の)第一期は・・・人間や動物が象徴化された図像的な金文である。字数は一字から数字と少なく、各部族の標識として用いられたのではないかと考えられる」「第二期は・・・字体はまだ図像的ながら、文学的要素がかなり強まった金文である。・・・銘文は3,40字と長文化し・・・年代的には殷の後期、甲骨文の第五期に相当すると考えられる」「これらはいずれも、甲骨文と同様に、神と王との対話の記録と言う宗教的な性格を持っていたと考えられていた」とあり、「多くて10字」「神の名前を印す」などとは書かれていない。
(p80)
しかし、甲骨文や金文は国の重要な行事の時に刻まれた文字として注目されていますが、市民の間では別の流れもあったはずです。周の時代では既に竹に墨や筆で書かれたもの(竹簡)が発見されています。
確かに殷代のものと思われる陶器に筆書きしたとされる痕跡や、甲骨文で文字を刻む前の朱書の段階のものが発見されているので、筆らしきものがあっただろうことは想像に難くない。しかし周代(紀元前1046年頃−紀元前771年頃)の竹簡とは初耳であり、その根拠をぜひ知りたいところだ。1978年に発掘された「曾侯乙墓」という周代から戦国期にかかる曾国の王族の墓に竹簡が出土しているが、年代としては紀元前433年頃で現存最古のものとされ、それ以前のものと思われる竹簡は発見されていないはず。この曾侯乙墓から出土した文字資料(竹簡)は戦国期にかけてのもので、殷周期の甲骨金文から遠く離れた、戦国「楚」国の文字に酷似した別系統の文字資料となる。
近年、戦国期の竹簡が多数出土報告されているが、周代と言っても殷末からの西周とその後の春秋戦国期を総称した東周とに分かれる。もし双雲がこの東周のことを言っているのならば完全に誤謬とはみなされないだろうが、多分甲骨金文とごっちゃにして語っているので、そのことまでは理解出来ていないものと思われる。
さらに「実際に、竹の軸にウサギの毛を巻いた筆が春秋戦国時代の古墳から発見されました」に続いて図19(「石鼓文」戦国〜秦時代)が紹介されているが、この時点で記述がなされている、甲骨文字や金文の使われていた殷〜周時代(紀元前13世紀頃〜紀元前3世紀)とは大きく離れており、そのような図版が挿入されていると非常に紛らわしい。
私が思うに、甲骨文字が生まれる以前に木や竹に墨のようなもので書くという行為が各地であったのではないかと思います。文字を書くことに慣れていくうちに、文字らしきものが整いはじめ、石や骨等、堅い素材に絵を彫るという文化と合体して甲骨に文字を刻むという行為に到ったのではないかと想像するわけです
もっともらしく書いてあるように感じるが、「文字を書くことに慣れていくうちに、文字らしきものが整いはじめ」とはどういうことか。「文字らしきものを書いていくうちに文字が整っていった」というのならのならわかるが…
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以上は、たった3ページ程度の文章の中に見られる誤りや疑問点である。
しかも、素人であっても少し調べれば簡単にその誤りが指摘できる程度の誤りである。
「書道家」と称する人間がこのような誤りを含む著書を訳知り顔で出版してしまうのみならず、
誤りを指摘されても(過去にAmazonレビュー等でその誤りを指摘する書き込みがなされたが、
2008年4月頃なんの説明もなく削除されたという経緯がある)その書き込みを謙虚に受け止めることなく、誤りをそのまま放置できる感覚が、私にはなかなか理解できない。
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