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Yahoo知恵袋の疑問と日本習字
しかし、以前と違い、幾つものスレに枝分かれしてしまい、発言が分散して議論が活発になりにくい状況を生んでいるようだ。
現在存在しているスレは以下の通りである。
【書道家?】武田双雲の呆れた悪行10画目【詐欺師】(芸能板)
※5画目まではミラーが存在するが、6画目以降はミラーがないため、
6画目以降の過去レスは通常のブラウザでは読むことができない。
「NHK大河」題字/武田双雲の国際賞はカネで買える(大河ドラマ板)
【現代書道】武田双雲【書聖】 (芸術鑑賞板)
【書聖】 天才書道家 武田双雲 【書神】(芸術鑑賞板)
【人気書道家憎し】武田双雲にたかる悪行 1画目(芸術鑑賞板)
このうち1つ目の芸能板と2つ目の大河ドラマ板は発言したレスにIDがつくようになっている。
「武田双雲の呆れた悪行・・・」はもともと芸術鑑賞板にあったがIDは表示されない。
8,9画目あたりで武田双雲擁護派などの悪質な連続書き込み(「荒らし」)が発生し、
それを防ぐためにIDのつく芸能板に移動したということらしい。
事実、現在の10画目のスレには、擁護派などによる「荒らし」は激減した。
最近では、Yahoo知恵袋に武田双雲に対する疑問の声が多数投稿されている。
やはり「天地人」の題字により、疑問を持つ人が増えたように見える。
最近の若手書道家についてです。
書家 武田双雲さんについて あの人はそんなに上手いのか?
書道に関心のある方に質問です。私は長年書道を愛するものですが、あの「武田双雲」の字は基礎を無視していると思います。もてはやされる理由を教えてください。
商業書道家の人たちは、書の基本を基に、五感に訴求するイメージ付けをされていますが、広告としての貧弱な気がする武田双雲の書について、どなたか商業書道の観点からどう思われるか解説頂けませんか。
NHK大河 天地人の題字 歴代の題字と比べてずいぶんと格が下がったとおもいませんか...
Wikipediaの武田双雲の項目の備考の欄がきもちわるいです。批判を書かれる度に誉...※注1(下記)
「関心空間」のサイトもそうだが、ここまで批判の声が挙がるのも珍しいのではないかと思う。
Yahoo知恵袋の質問の一つで興味深いものを紹介したい。
Yahoo!知恵袋 書道家武田双龍さんの書を見て、ふと思ったのですが、彼は日本習字出身でしょうか...
これに対する回答が非常に的を得ていたので以下引用する。
双雲さんの著書『書愉道』をパラパラ見ていたら、このご兄弟が小学生の頃、書道展の表彰式で撮ったという写真が出てきて、背景の作品に赤い「観峰賞」の紙が貼ってあるのに、びっくりしたことがあります。なぜ誰もこのことに気づかないのでしょうね。平たく言えば、このご兄弟のお母さん(双葉さん)は、日本習字の教室を開いておられ(推測)、ありがちですが、観峰さんの筆遣い(登り龍が有名ですね)に憧れて、(これまた日本習字にありがちですが)十分な臨書もせず、「お習字」崩れのなんちゃって書家になってしまったということではないでしょうか。日本習字の書風は、やはり観峰さん一世一代のものだと思います(私は毎日書展ですが、とっても好きです)。その書風を一筋に極めた高段位允許者の中には、確かに能筆もおられるのですが、観峰さんご自身が「甘え段位。お情け段位」とおっしゃる通信五段(教授免許)程度で、書家を気取っている人もいて(下の方などは、あまりにひどいです)、大きい団体だけに、問題も多いですね。
武田双雲が以前発行していたメルマガには、自らの肩書きを
「ふたば書道会師範 / 日本習字師範 / グラフィックデザイナー」
のように書いていた。
いつどのようにして日本習字の師範資格を取得したのかは不明だが、身内である武田双葉(双葉氏については「書道家のつれづれ日記 武田双雲を斬る・その1」「その2」にて詳しく検証されている)の書道会の師範免状以外で、それなりの資格といえばこの日本習字(正しくは日本習字教育財団)だけとなる。
以前は師匠として、母親の武田双葉とともに坂口泰堂先生、兼城昌山先生という名前も挙げていたが、いつの頃からかその記述はなくなっている(おそらく半年程度の修行だと思われるので(→「インターネットへの登場(2)」参照)きちんと師事していたわけではなかったのだろう)。
また、師匠である母親の武田双葉は以前プロフィールに「井田峰月、坂口泰堂、高野英山 等へ師事」と記述していたが、もともと日本習字出身であるということは周知の事実らしい。
武田双雲・双龍が幼い頃から日本習字に通っていたことからも、それが伺える。
日本習字とは会員数約45万人、支部教室数約14,000教室を誇り、文科省から許可を受けた日本最大規模の書道教育団体であるらしい。
いずれにしても、現在双雲、双葉、双龍のプロフィールには「日本習字」の文字は一切ない。
以前から2ちゃんねるでは武田双雲・双葉親子に対して「日本習字出身」と揶揄する表現がしばしば見られたし、先の知恵袋でも「なぜ誰もこのことに気がつかないのでしょうね」と回答者がびっくりしているが、それが何を意味するのか、書道に関して素人の私にはなかなか理解できなかった。
しかし、先に紹介した知恵袋の記事とともに、次のブログの記事を発見したとき、それが少しわかった気がした。
金持ちサラリーマン Cafe OPAL 店主の日記−原田観峰
、「日本習字だより」と題してあり、白い長髭と白い衣装を風に靡かせて、太い杖を持って大平原に佇む老人の写真が一面に載っている。そしてその写真の上には「観峰宗師シルクロードへ」と大書してあった。これは…、もしかして原田観峰か! こういう人だったのか。初めて見た。思わず笑ってしまいました。
原田観峰とは、書道界の異端児、癌、と言われている人だ。癌、とはいささか言い過ぎかもしれないが、この人が作った「(財)日本習字教育財団」が、現在の一般の人々の書に対する理解を混乱させているのは、まず間違いないだろう。
(中略)
書道に、というか正確には習字に段位を持ち込んだのは、この原田観峰の「(財)日本習字教育財団」なのだ。
(中略)
私はこの原田観峰がどれほどの実力を持った人なのかは知らないが、少なくとも、書道界からは抹殺されている。書道の歴史や現状を述べた本には、ほとんど出てこない。いや、いままで私が読んだ範囲の事ですが。で、書家の人に言わすと、「あれは書道ではない」と断言する。つまり、よく「ボク(わたし)も昔は書道をやっていたよ。初段だったかな」という人が居るが、それは書道ではない。それは習字、それもかなり特殊な習字に過ぎない、という事になるのだ…。
(中略)
書道とは、単に字を上手に書く技術ではない。それは何千年もの歴史と伝統に連なる営為なのだ。だから、書道の歴史に連なっていないと、書道界の人たちにみなされたら、それは書道ではないのだ。前衛書家達は、いくら書から離れている事をやっているとしても、書道界から認知される事によって、かろうじて書たりえている、という事なのだ。
それでもなお、なぜ原田観峰と「(財)日本習字教育財団」は、書道界から認められないのか? という疑問は残る。単に字が下手だ、という意見もあるようだが、私はよく分からない。しかし、今日、この「日本習字だより」を見て、その理由の一端が分かったような気がした。なんというか、その、宗教臭いのだ。原田観峰のルックスもさる事ながら、彼を「宗師」として崇める文章や、世界中をまわって様々な有名人と一緒に写っている写真など。オウム真理教、あるいは創価学会みたいだ。これは、嫌われるだろうなあ。特に、習字教育という衣を纏って、一般人に深く浸透しているなら、なおさらだ。なるほどなあ。
参考:日本習字:創設者のご案内より
本名、孝太郎。観峰[かんぽう]と号した。昭和28(1953)年、西日本書道通信学会(財団法人日本習字教育財団の前身)創立を機に、 「正しい文字美しい文字」の普及活動を展開、その半生を書道教育に尽くした。(中略)著書「書写技能基礎講座」(文部科学省認定社会通信教育教科書)はじめ多数。哲学、宗教にも造詣が深く、自筆箴言集に「観峰名訓書範」等がある。
面白いことに、この「日本習字」の創始者である原田観峰でグーグル検索をかけてみると、上のブログの記事が一番に上がってくる。
Wikipediaで見ても、日本習字教育財団は芸術系の書道団体ではなく、教育系の書道団体と位置づけられている。 ※注2(下記)
日本習字のHPを見ると、教室だけでなく通信教育での資格取得も大々的に行っているようだ。(通信教育で師範免除まで与える団体は少ないらしく、日本習字はその中の一つである)
先に引用した知恵袋の記事で「観峰さんご自身が『甘え段位。お情け段位』とおっしゃる通信五段(教授免許)程度で書家気取り」というくだりは、この通信教育によって取得した教授免許を指していると思われる。
書道関係者にしてみれば、作品の通信添削だけで師範程度の資格を与えるという制度に大きな疑問があり、綺麗に字を書くことができるようになったとしても、師匠の筆遣いや身のこなしなどを直に見ることなしに真の書道(習字ではない)や人に教える技量は習得できないないのではないかという思いがあるのではないだろうか。
他のサイトでも、日本習字の関係者と思われる人が
という書き込みをしているが、これが先の知恵袋で語られていた「問題」の一つではないかと思われる。ちなみに日本習字の場合は、同じ段位であっても認定基準がイマイチ曖昧な部分が有ります。というのは、『あれ?これでもOK?』というような・・・。No.5さんの参考URLにある作品紹介ページを見ていても、正直あまり上手いとは思えないのですが、それでも観峰賞が取れていたりします。段位の認定にも正直ばらつきがあると、以前から疑問を感じていますね。
「書道をやっている人に言わせればあれは書道でない」と書かれるようなマンモス習字団体で学んだという過去は、「本格的な書道家」による「新しい書道」として独自の書風を売りにしようとする武田親子にとっては触れられたくないことなのかもしれない。
しかし、見る人が見ればその癖をもって「日本習字出身」であることは容易に判断できるようだ。
またたとえ日本習字出身であったとしても、あるいは独学であったとしても、
書道関係者が見て納得できる魅力を作品が持っていたならば、
「『お習字』崩れのなんちゃって書家」「日本習字出身」などのように
揶揄をされることはなかったのではないだろうか。
それにしても、
この日本書道の創始者原田観峰氏の風貌や「宗教臭い」と書かれた印象が、
なぜか武田双雲とかぶって見えたのは私だけだろうか・・・
※注1:
wikipedia-武田双雲のページには、現在「この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。」
という但し書きとともに、以下の注意書きが「ノート」に書かれている。
武田氏についての議論および評価は3つの理由で難しいものがあると考えております。1つ目は武田氏の作品制作の思想はこれまでの書の思想の中にあるのにも関わらず全く新しいものであると本人が主張しているため、書・書道に対する芸術の範疇および定義の問題からその主張を検証していく必要があるからです。2つめは、武田氏が書についてどれだけ貢献したかということを検証なしに個人の業績としてカウントできるのかについての議論は瑣末であり、百科事典の性格から権威的に疑問であるからです。3つめは「パフォーマンス書道」が武田氏の世間に知られている、いわゆる売りであるが、精神や知性、人格を重んじる書・書道とは全く別のジャンルとして再定義するべきと考えられているからです。つまり、書家もしくは現在武田氏の主張している書道家という肩書での業績を議論するためには、老成芸術である書・書道の在り方を否定する、書・書道とは異なった新しいジャンルを提起するべきで、もはやウィキペディアでは独自研究の域として掲載できない分野であるからです。この項目を残すのであれば、業績の偉大さや軽重などを述べるのは控え、「パフォーマンス書道家」「元ストリート書道家」として記載するにとどめ、武田氏および他者についての批判や賞賛は場合によって独自研究の条項に該当することを重く受け止めて記述することを要望します。
※注2:
書道に「芸術系団体」と「教育系団体」が存在するという背景について、簡単に補足しておきたい。
芸術系団体とは、社団法人 日展、社団法人 日本書芸院、財団法人 毎日書道会、読売書法会 などを指す。 一方教育系団体とは、全国書教研連盟(書研) 、日本書道教育学会、財団法人 日本書写技能検定協会、日本書道学院、日本教育書道連盟 などを指す。
書道の教育機関については興味深いことに、日本の芸術大学で本格的な書道科あるいは書道専攻の過程を設置しているところはなく、教員養成系大学や大学の教育学部(東京学芸大学教育学部、筑波大学芸術専門学群、新潟教育学部、静岡大学教育学部、大東亜文化大学、等)に書道教育・書写教育の研究室が置かれ、専門教育が施されている。つまり文部省は書道を教育の一種と考えているといえる。
「書道とは、この文字の美的表現法を規格あるしつけのもとに学習しながら、実用として生活を美化し、また趣味として心を豊かにし、個性美を表現していくことである。そして、その学習過程において、人格を練磨し、情操を醇化していく。よって、書道は人間修養の一方法であり、古来、中国では六芸の一つとして尊崇されてきた」
が
「日本では昭和時代からの大規模な書道展の開催により、書道が近代芸術としての地位を確立した」(Wikipediaより)
ため、書道には教育的側面と芸術的側面の2つの要素が複雑に絡み合って存在しているということができる。
石川九楊著「書とはどういう芸術か 筆触の美学」より
このように見てくると、(書道は)華道や茶道のように、全面的に民間に依存している形態と似てはいるが異なり、また美術のように公の美術大学で教育を授けられる形態とも異なり、また文学のように、大学に研究者、民間に作家と棲み分けている形態とも異なる、特異な書の構造が透けて見えてくる。いずれにも似ながら、いずれとも異なった形態で書は存在している。
柔道や剣道、以後や将棋、算盤のように、習字や書道には級段位認定制度もある。しかし、書道のそれは、他のジャンルのように半ば公的なものではなく、まったく私的なものである。級段位の認定制度は、書道団体、結社の数だけ、つまり無数にある。本書の読者のひとりが思い立って、明日から書道団体を名乗り、勝手に級や段位をつけ、師範認定をしてもなんらさしつかえない。ときどき、芸能人やスポーツ選手が「書道○段」と名乗り、マスコミが「達筆、名筆」とはやし立てているのを見かけるが、書道の級段位はいいかげんなものにすぎぬから、これほど滑稽なことはない。
小林秀雄の評論が『現代国語』の教科書に引用されていようとも、小林秀雄の評論は受験生のテキストではないように、王義之や顔真卿の書もまた、書道の手本ではなく、厳然たる歴史的表現である。『上手い』『下手』、習字、書道、書道展という教育、稽古の観点からは、書は決してその新の姿を現さない。書の表現史の末席に、可能であるかどうか分からぬが現在の書の表現がある。その表現を支える底辺に、習字、書道教育、書道展があるという視点を回復しない限り、ほんとうの書の理解、またそのおもしろさには出会えない。
書道は教育であるという論から知識人がどれほど自由でありうるかは措くとしても、知識人の書道や書道界の現状へのいらだちの原因はここにある。
目次
はじめに
武田双雲への批判(1) 書道関係者、美術関係者などによる武田双雲批判を見てみる(7/28一部加筆)
武田双雲への批判(2) 龍華翠褒賞についての検証(9/26一部加筆)
武田双雲への批判(3) コンスタンツァ・デ・メディチ家芸術褒賞について
の検証
武田双雲への批判(4) コンスタンツァ・デ・メディチ家芸術褒賞についての検証(2)、美研インターナショナルという会社について
武田双雲への批判(5) 龍華翠褒賞、コンスタンツァ・デ・メディチ家芸術褒賞について(まとめ)(9/26一部加筆)
武田双雲への批判(6) なぜ2ちゃんねるが武田双雲を書歴詐称と批判するのか
武田双雲への批判(7) メディアの怖さ
武田双雲への批判(8) 龍華翠褒賞、コンスタンツァ・デ・メディチ家芸術褒賞について、武田双雲のコメント(インタビュー記事より)
武田双雲への批判(9)週刊文春に受賞歴記事掲載 「徹底追及 怪しい『カリスマ』『NHK大河』題字 武田双雲の「国際賞」はカネで買える」記事の内容、大河ドラマ題字揮毫「予定の噂」
インターネットへの登場(1) ふで文字や.comの開設
インターネットへの登場(2) All Aboutへの登場
インターネットへの登場(3) All Aboutへの登場(2)
メディアへの進出(1) 武田双雲とメディア
メディアへの進出(2) 愛知万博(愛地球博)での揮毫、テレビ局の双雲の扱い
書道界の基礎知識について
デザイン書道、アート書道、そして書道 デザイン書道、アート書道流行の背景、アート書道はポップアートならぬポップ書道だ(2009.1.15 一部加筆)
なぜ武田双雲を書道家と呼んではいけないのか(1) 書家の分類について、書道家としての文字の知識の欠如、武田双雲は厳密に言うとどの分野に属すると言えるのか(7/28一部加筆)
なぜ武田双雲を書道家と呼んではいけないのか(2) 書の歴史等に関する知識の欠如、「書家」ではなく「書道家」と自称する根拠
なぜ武田双雲を書道家と呼んではいけないのか(3) 「1億人を感動させる」という目標と公式サイトの「感動の声紹介」、書道への考え方について
なぜ武田双雲を書道家と呼んではいけないのか(4) 他の美術家の作品を鑑賞しているか・個展作品の扱い方
「『書』を書く愉しみ」に潜む誤り 書道史概論の記述部分に見られる数々の誤り
「森大衛が武田双雲の『かっこいいっ書』を添削」事件 「書写的指導」か「書芸術的指導」か、公の場(ブログ)で森氏が武田双雲を批判
大河ドラマ題字揮毫がもたらすもの(1) 視聴者からのクレームに対するNHKからの回答、金で買った受賞歴を偽装してマスコミに売り込んだ双雲をなぜNHKは使い続けるのか、過去の大河ドラマ題字揮毫書家について
大河ドラマ題字揮毫がもたらすもの(2) 武田双雲がNHK大河の題字に起用される「意味」と、その起用に対する批判の理由、「天地人」題字の検証
武田双雲と創価学会の噂なぜ、武田双雲はこれだけマスコミに出ることができるのか?武田双雲と佐藤可士和、中島朋子などとの接点
書と個性について 田邊萬平氏の「個性について」という論考の紹介
書と個性について(2) 書における個性とは何か、「個性」を看板に掲げる創作(?)書道教室の「個性」とは
書と個性について(3) 比田井天来氏の「書の伝統と創造 天来翁書話抄」からの引用
デザイン書道、アート書道、そして書道
従来の書道におけるルールをまったく取り払い、自由に文字を書いて(描いて)表現する、そのような表現は最近では「デザイン書道」「アート書道」などと呼ばれ注目を集めているが、一般に「筆文字」と呼ばれる表現の流行から出てきたと思われる。
「筆文字」とは筆で書いた文字一般を指すかなり大まかな表現である。街角の看板やお品書き、商品パッケージなどに見られることが多い。上手い文字もあればへたうまな字、個性的な字などさまざまな筆文字のスタイルがあり、その表現方法は人それぞれに異なる。
この「筆文字」をもう少し的確に示すと「デザイン書道」「商業書道」「和風POP」「筆書きレタリング」と言えるだろう。それらの言葉を見るとわかるように、筆文字とは文字の芸術的表現を目指す「書道」という分野と、文字をデザインする「レタリング」という分野が絡み合っていることがわかる。そしていわゆる「筆文字」書きを職業として行っている人々がどちらの分野に重きを置いているかによって呼び方が変わっているように思う。つまり、伝統的な書道の基礎をつけた人がロゴデザインなどを中心に行う場合は「商業書道」、書道の知識も技術もそれなりにあり、かつデザインの知識もあるという人は「デザイン書道」、そしてデザイン畑で育ち筆文字の分野に進出した人は「和風POP」「筆文字」などと呼ぶ、という具合だ。
「デザイン書道」という言葉は比較的新しく、おそらく2002年ごろから認知され始め(武田双雲のネットショップ「筆文字や」は2001年オープン、「筆文字なび」は2003年オープン)2006年には「新語」として登録されている。一方の「商業書道」はもっと古くから認知されており、1988年に「日本商業書道作家協会」が設立されている。この協会は昨年「日本デザイン書道作家協会」と改名していることを見ても、現在は「商業書道」という言葉よりも「デザイン書道」の方が認知度が高い(あるいは印象がよい)ことを示している。どちらにしてもこれらの方向性は、一般に「商品」に対するメッセージを表現するという目的のために、既存のフォントやデジタルでは表現しきれない人間味のあるメッセージを変幻自在に筆によって文字に織り込む、というものである。それは広告として期間限定で作られるものであり、書に精通していない不特定多数にもわかりやすいように文字を最大限にデフォルメするというスタンスであって、多くの商業書道家やデザイン書道家が言うように「既存の書道とは考え方、アプローチが全く異なる」のである。書道の基礎をみっちり学んでいないグラフィックデザイナーでも「筆文字作家」としてやっていけるのは、この「既存の書道とはアプローチが全く異なる」、つまり筆文字(商品のために書かれる作品)制作において、文字を美しく上手く書くことよりも、全体のデザインセンスやクライアントの意向を汲み取るセンス、そして多くの人に意図が伝わりやすい字を書くスキルの求められる比重が大きいことを示している。
日本商業書道作家協会の設立者であり商業書道家の第一人者である上坂祥元氏は自身のHPで次のように述べている。
では、「商業書道作家」とは、どのような職業を意味するのでしょうか。私たち商業書道作家に求められているのは、クライアントに書き文字のニーズが生じた時、クライアントのコンセプトを捉え、メディアの特性を的確に把握した上で、そのメディアに最も生きる文字を提供することです。
端的に言えば、「書」「デザイン」「広告」の領域に精通することが、「商業書道作家」であることの必須条件であり、存在価値であるといえるのです。
「商業書道」が従来の書と異なる点について、より詳しくお伝えしておきたいと思います。「商業書道」の世界では、まず第一に「可読性」が必要不可決の条件にあげられます。一部の例外を除いて、青墨や紫墨で薄く滲み、判読できない文字は必要ないのです。
書展を評したある川柳に『書道展 読めた文字は「順路」だけ』というのがあります。決して古典書道の世界を批判するつもりはありませんが、「商業書道」の世界では、一般の方が読み取れない文字を書くことは許されません。
広告の中での文字は、メッセージであり、万人に分かる文字、読める文字、それでいてデザイン的に、グラフィカルにデフォルメして、時に格調高く、時に美しく、時に味わい深い文字を書かねばなりません。個性があり、商品や店舗をアピールするインパクトの強い文字であることも要求されます。
筆をもち、「書」は書きますが、この「書」は「デザイン」であり、タイポグラフ(デザイン文字、デザイン化された文字)なのです。いいかえれば「筆という道具を使って文字を“デザイン”する」ことが、「商業書道」なのです。
このように、商業書道はデザインであり、ビジネスであり、文字の巧拙、芸術性を競うものではありません。
しかし、汚ない字、乱暴な文字は決して好ましくありませんし、又私の身上からも最も嫌いな文字です。パワフルで勢いがありインパクトの強い文字と、粗暴で乱暴な文字は自ずと違うのです。
そして最近注目を浴びている「アート書道」は、これら商業書道やデザイン書道の延長線上にある。町のあちこちで筆文字の看板など商業和風POPが見られるようになったのと平行して、小池邦夫の絵手紙ブーム(1985年頃から、のちに1996年日本絵手紙協会設立)や相田みつを(味わいのある筆書きで著した詩集「にんげんだもの」が1984年出版され、ベストセラーに)ブームが起こり、「下手でも味わい深い筆文字」というものが次第に人々の支持を集めるようになった。そして商業書道家たちが「ある商品」を対象にした作品ではなく、その制作手法を用いて自分自身の自由な文字表現を欲するようになり、それを「アート書道」として発表しだした、という流れが見える。
またインテリアの分野でここ数年の間に急速に和風のテイストが見直されるようになったことも大きいだろう。和風モダンなインテリアの一部として和風のデザイン文字が求められるようになり、アート風書道の額装品を壁に飾ったり、ランプシェードやテーブルクロスなどのインテリア品に筆文字をのせたりなどという形で取り入れられた。またデザイン書道は洋風のインテリアとも相性がよいということもあって、インテリアのデザインの一部としてデザイン書道のニーズがますます注目され、これらを特に「インテリア書道」と呼ばれるようになり、インテリア書道を専門にプロデュースする業者も多数存在するようになった。
これらの流れは2004年1月の「シブヤ経済新聞 和のブームとリンクする墨文字人気 渋谷「書」のアート・カルチャー事情」に詳しく書かれており、
最近の「癒しブーム」や「和への回帰現象」と共に、古くて新しい「墨文字」への見直しが始まっていると考えられる。単に半紙の上で型通りに上手な書を書くのではなく、自由な発想のもとでアートやコンピュータグラフィックなどとコラボレーションしながら、新しいアートシーンを生み出している。表現面では、西洋の「多彩でカラフル」なビジュアルに対し、単色ながら微妙な色合いで奥深い表現ができる「墨」という画材そのものへの注目が高まっているとも解釈できる。今後、さらに他のアートシーンとのコラボレーションを通じて、そのバリエーションが広がりそうだ。
と考察されている。
以上デザイン書道やアート書道に共通するものは「表現がわかりやすい」「大衆的」ということだろう。
デザイン書道はもともと商品に対する作品として発生しているから、その商品を認知させ購買意欲を高めるために、多くの人に意図を伝えやすい、つまり「わかりやすい」「ストレートな」「印象が強い」作風となっている。そこにはこれまで培われてきた書道のルールが介在しない場合がほとんどである。
このように見ると、デザイン書道/アート書道はいわゆる「ポップアート」と非常に共通点が多いことがわかる。ポップアートとは1950年半ばにイギリスで発生したもので、その後アメリカにおいてウォーホルやリキテンシュタインなどスター作家の出現によりポップアートの文化が花開いた。版画の一般化により美術作品が廉価で大量生産できるようになった背景のもと「軽く、浅く、飄々とわかりやすい、安い」大衆文化の一つとしてポップアートは受け入れられ、ファインアートと大衆文化の壁を侵食しつつある。
一方デザイン書道/アート書道も、もともと商業書道をルーツに発生し、街角の看板や商品パッケージなどの商業デザインのひとつという形で、「軽く、インパクトがあり、わかりやすい」表現を持ち味として急速に大衆に受け入れられるようになった。まさに書道という芸術における大衆文化、ポップアート、すなわち似ているが非なるものといえる。
読売新聞の菅原敦夫氏はこれを「ポップ書道」と呼んでいる。そして非常に興味深いことに、昨年あるいは一昨年のことだが書道界の重鎮方はこの「ポップ書道」の流行や武田双雲などのポップ書道をメディアで披露している者達の存在を全く知らなかった、という。この話からも、ポップ書道が従来の書道とは似て非なるものだといえるだろう。
さて話を武田双雲に戻そう。
彼の作風は「書道」に近いだろうか、それとも「デザイン書道/アート書道」に近いだろうか。
私は後者だと思う。おそらくそのように感じる人が圧倒的ではないだろうか。
そして彼がそのように振舞い、マスコミもそのように扱うのであれば、こんなに批判は出ることはなかったのだろう。
しかし武田双雲はあくまでも「書道家」と自らを呼ぶ。書道界におけるまともな経歴もないのに「書道家の母のもとで小さい頃から書道を叩き込まれる」「国際賞の***賞受賞」など、書道の実力がありまた認められてもいるかのように一般の人に積極的にアピールし、書道教室を開いて「上手い下手は関係ない」「個性を大事にする」スタイルの新しい「書道」の指導を行っていると触れ込んでいる。その一方で「上手い字を書く極意」と銘打った全くその根拠や効果の見えないお習字ゲームをテレビで披露し、「これがかっこいいひらがなの書き方だ」と子供番組で拙いお手本を示す。きちんと調べもせず、誤字・思い込み・勘違いが満載の「書道本」を出版する。
それらの振る舞いには、どうにもちぐはぐした感じが拭えない。
テレビ局や出版社といったメディアが彼を勘違いして使っているからと考えても、やはりそれだけでは説明できない居心地悪さがある。
見えてくる行動や作品はおおよそ「書道家」と呼べるものではない。
「かっこいいっ書」のお手本は、昨年森大衛にめっためたにやられたように、どう見ても「テレビでプロによる手本として堂々と示すようなもの」ではなかった。
また「みらくりっしゅ。〓武田双雲の一筆マナー〜果たして武田双雲は達筆なのか〜。 」で
(「武田双雲の一筆マナー」という部分に対して)
一文字一文字別の人が書いたみたい。
もしくは、縦書きだったのをコピペで横に組み換えたみたい。
(中略)
広告代理店が細切れの武田双雲の字を色んな作品から寄せ集めたのでないなら、これは酷い。
さては、もしかして、武田双雲って、基本ができてないんじゃないかしら。
彼が書いてるのは、書じゃなくて、字をモチーフにした絵なんじゃないかしら。
(中略)
まぁ、彼は紛れもなく書道の人なんだけど、彼の書いてるのも紛れもなく字なんだけど、
つまりは、字に見えるカッコイイ線の集合体を書くという美術的表現に特化してるんじゃないかしら。
例えだけど。基本の字を崩してるというより、基本の字に似せてるって感じがする。
しかも上手くアレンジして”描ける”のは、漢字1〜2文字までなんじゃないかしら。
文字数が多かったり、キッチリ書いたり、まじまじとじっくり見られたりすると、
ものすごくアラが目立つ、つまりは、彼は、書の印象派なんじゃないかしら。
(マネごめんモネごめんルノアールごめん)
美術界の印象派の皆さんは、基礎をきっちり学んだその上で、印象主義な絵を描いてるはずです。
書道界で大胆に崩した絵的な作品を書く人も、永字八法から始まって、基本をしっかり押さえています。
基本もできてないのにダイナミックに崩しちゃうのは、飛び入りの印象派です。
それで誰も文句つけられないほど素晴らしい作品を生み出すなら、
「基本がなってない」はただの嫉妬と言いがかりかもしれませんが、
本当に基本がなってなくて、いちゃもんつけほうだいな場合は、
それは、なんちゃって印象派です。書道家を名乗るなら、基本を勉強すべきです。
と書かれているように、素人目で見てもおかしいぞと思えるような作品を平然と世間に晒しているのである。
であるにもかかわらず、堂々と「書道家」と名乗り、やっていることが「書道」だと言い張り、そしてそれをまたマスコミが喜んで取り上げるのが、どうもしっくりこないのである。
それはたぶん、武田双雲自身が自らの(書道という表現方法における)立ち位置をきちんと把握していないからではないだろうか。つまり書道家(あるいは芸術家、アーティスト)と呼べるレベルになくまた商業/デザイン書道家にも振り切れていなく、どちらにしても非常に中途半端であるのに「書道家」ぶろうとしていて、そのカテゴリに求められるべきものを出すことができていない、大きなほころびが散見されているのにかかわらず本人はそれに気づいていない、そしてマスコミや一般大衆は「実力がある」というニセのアピールでごまかされているためそのほころびに気づかず、盲目的によいと思い込まされている・・・ということではないだろうか。
・・・と思っていたら、見事に端的にそれを表現してくださっている方がいた。
やた管ブログ:ダサすぎる若手書家たち
外国で賞をとったというと、まえにちょっとクサした武田双雲氏も上海美術館の龍華翠褒賞だの、コンスタンツァ・メディチ家芸術褒章だのわけのわからん賞をもらって堂々と経歴に書いている。
ここではっきり言わせてもらうが、こういうのを経歴に書くのは、作品の良し悪し以前に、もうどうしようもなくダサい。ダサダサだ。
(中略)
この際だからついでに言っておくと、書は個性だ、芸術だとかいっているのに「うまい書」はこう書くなんて朱墨で添削してるのもたまらなくダサい。一貫していない。
誤解のないように書いておくが、僕はマスコミによって名が売れることには全く否定的ではない。書道界のためにもおおいにやればよろし。だが、ダサいやつが目立つのは見ていられない。
やた管ブログ:森大衛vs武田双雲
本人は「書家」ではなく「書道家」だといっていますね。どっちでもいいけど。
「書家」という資格があるわけではないので、言うのは自由です。
でも、パフォーマー(表現者)なら思想がないとダメだと思うんです。
一方ででかい筆を振り回して、一方で添削しているようじゃ、思想があるとはいえませんね。
書と個性について(3)
現代書の父といわれる比田井天来氏の「書の伝統と創造 天来翁書話抄」(比田井天来著、比田井南谷編集・校訂 雄山閣)から、興味深い文章を引用してゆく。
「初学者のこころえと臨書の方法」より。
第一期の臨書は、絶対的手本本位というてもにせもの書きのようになってはならぬ。自己の主義を確立して、その範囲内において、似るだけ似せるのに止めるのである。
人間は芸術のみならず、すべてのことに自己というものがなければならぬのであるが、たいがいはこの自己がじゃまになって、これがために失敗に帰することが多いのである。また多くの人は、自己流を出さないようにしても、自己流になりたがるものである。よほど聡明叡智の人か、あるいは専門的の学問芸術に徹底していて、ほかの学問芸術における知識はなくても、自己の修めた学問芸術の経験により、これがために人格まで向上し、聡明叡智の人と同様なる判断を下しうる程度に頭脳の発達した人でないかぎりは、初学者の芸術における考えは、たいがい的をはずれてかならず低いところに目をつけているものである。「百里を行く者は九十里を半ばとする」という諺のごとく、第一期の初学時代は、その人の器の大小が定まるときであるから、充分勉強しなげればならぬ。ことにうぬぼれの強い人、またはわがままの人は、その低い鑑識力の自己を本位として、おのれのしゃくしじょうぎに合わないものはことごとく排斥するから、自己はいく年経ても、いぜんとして小さいままの自己である。かくのごとき性質の人は、第一期の修業にいっそう骨が折れる。並の人より三倍も五倍も努力して、この小さい自己を痕迹のないまでに撲滅して、まったく無我の境地にいたることのできるまでは、けっして第二期にうつってはならぬ。ここで充分骨を折れば、うぬぼれもとれるしわがままもなくなる。
第二期に移る前がもっとも肝要の時期である。第一期において充分に勉強すれば、大家の書は形が違っても各々一つの妙所をそなえていることがわかり、一時はかならず好き不好き(ぶすき)というものはかならずなくなってしまう。それと同時に、拙書には拙中に妙あり、巧書には巧中に俗あり、巧と拙といずれがよいのか方角がわからなくなる。これがもっとも大切なときで、またもっとも危険のときである。進歩するのも堕落するのもこの時期が境界線になっている。この時代を称して第一期の迷時代という。この時代にまじめに勉強を継続すると、初学のさいに見ていた巧拙は真の巧拙ではない。真の巧拙は動かすべからざるものであるということがわかる。また大家の書にはかならず共通する一定の法則がある。ゆえに有名の手本は、点画結体が全然違っていてもかならずその妙を同じうしていることもわかってくる。この時期に到達すると、ふたたび初学時代とおなじように好き不好きが自然に出てくる。これがすなわちその人の天稟(てんりん)に近いものである。大家の書の共通点たる一定の法則を求むるには、執筆用筆の二法はもちろん紙の強弱から筆の剛柔長短にいたるまで、自己の信ずる著名の法帖を臨書する場合に、いちいち比較研究をして見なければならぬ。このときにおいて、やや自己というものを少しばかり認めることができるので、それ以前は、まったく自己を忘却してかからねばならぬ。農業にたとえると、第一期は土地を肥やす時代であるから、名家の碑帖を無我無心に模倣し、なんびとの書でもそのとおりに書いてみてその書きぶりを覚え、いかなる筆意でも結体でも自由にまねることのできる素養を作るのである。この素養ができあがれば、充分肥料をした土地が準備されたようなものである。土地の準備が出来上がり、いよいよ植え付けに取りかかる。これがすなわち二期である。その前にいま一つ大仕事がひかえている。その仕事というのは、これまでの修業で自己の天稟もだいたいわかり、やや自己の目標地も定まってきた、それがすなわち蒔きつけをする種子となるのである。ただし種子にも善悪があるから、その選択を充分にせねばならぬ。せっかく蒔いた種子に芽が出ても、びょうきのあるものもあろうし、または発育の悪いものもある。いよいよ育てる苗を決定した後では取り返しがつかぬから、このさいにもっとも注意しなければならぬ。ここにおいてか古来大家の共通点たる一定の法則を発見する必要があるのである。この蒔き付け時期は個性発揮の萌芽期で、一番大切の時期である。
せっかく名人の書を学んでもなんにもならない。一家によれば奴書となり、数家を平均すれば平凡になる。しからば時間をつぶして名人の書を学ぶのは愚なことである。むしろはじめから名人の書に似ない形、または似ない筆意の文字を創作してこれに熟練すればすなわち大家ではないかという反問が生じてくる。ただに反問ばかりでなく、現にかくのごとき誤りにとらわれている芸術家がたくさんある。
これは芸術と考案とを顛倒したもので、芸術としては邪道といわねばならぬ。芸術を大成するには独創的の考案の必要なるはもちろんであるが、すべて芸術の進境順序は博覧と自得に始まり、発見となり悟人となり考案工夫となり練磨熟達となり、しかるのちに創作となりて現るるのである。考案工夫は博覧、自得、発見、悟入の境界を経過したるのちに、はじめて創作的芸術の一要素をなすので、単独の考案工夫はもとより智の部分に属して、ただちにこれを芸術として見ることはできぬ。博覧にして学ばざるものは鑑識者となり、一家を自得する者は奴書となる。たとえよく博覧自得の二境を経由するも発見にとどまる者は議論家となり、悟入にとどまる者はほらふきとなり、考案工夫にとどまる者は未成品に終る。練磨熟達してしかるのちに創作芸術の域に達し、はじめて家数に列すべきものである。
簡単にまとめると、以下のようになる。
・名家の碑帖を無心に模倣する「臨書」によって、さまざまな人の書きぶりを覚え、どのような筆使いでも真似ることのできるほどになるようになることで、自分の癖や好みを一旦捨てて、書の基本というものをきちんと身につけることがまずは大切である。
・その基本を身につける「第一期」の段階で充分に基本的なものを吸収することでその人の「器」の大きさが決まってしまう(うぬぼれが強かったりわがままな場合は、充分に吸収することができず低い自己のままでとどまってしまい、第一期での修練に非常に苦労する)
・第一期=手本をきちんと真似ることができる、すなわち基本をきちんと吸収できた段階で、ようやく素晴らしいといわれる書に一定の法則があることが見えてくる。ちょうどその頃に、自己の方向性が見えてくるようになり、書における「個性」が芽生えてくる。
・芸術というものは、もちろんその人なりの個性なくしては芸術とはいえないが、(書においては)さまざまな素晴らしい書を見、臨書によって書きぶりを学び、自分の力で書の基本、そして名書における妙の一定の法則を悟り、その後自分の個性を見出してその個性を発揮するために修練を繰り返し熟達することで、創作として現れるものである。その順序を抜かして、名書の一定の法則を悟ったと言うだけ、ただ自己流で考案した書を芸術だといったところで、それは芸術とはいえない。
「『書』を書く愉しみ」に潜む誤り
資料も多く調べつくされているはず、そして書道家であればきちんと学んでいるはずの書道史であるが、新書のこの章には非常に多くの誤りが確認できる。
であるにもかかわらず、この新書は「全国の試験問題に採用されています」と公式サイトで紹介されている。これらが、もし本当に高校の試験問題やテキストに使われているとしたら、相当問題があるだろう。
ここで書道関係者である「涜迷様」のご協力を得て、少し詳しく、かつ書道になじみのない人でもわかりやすいように、その誤りを見てゆきたい。
願わくば「『書』を書く愉しみ」を手に取った人々が、全ての内容を盲目的に鵜呑みにせず、疑いつつ読んでいただければと思う。
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(なお78,79ページに数回「甲骨」という単語が現れるため、単なる誤字ではないと思われる)(p78)
-絵画から文字へ-
甲骨文字は読んで字のごとく、亀の甲骨に文字を刻んだものです。
甲骨文字というのは正確には「亀甲獣骨文字」の略称であり、亀の甲羅と獣の骨(牛の肩甲骨など)に刻されているために「甲骨文字」という。亀に「甲骨」なるものがあるのではない。おそらく双雲は亀甲獣骨文字という書道家であれば当然知っているはずの言葉すら知らないために、「亀の甲骨」などと書いてしまうのだろう。
(注:なお、最近出版された「書本」に掲載された漢字の歴史の部分では、「甲骨文字」について「亀の甲羅や獣の骨」と正しく記述されている)
(p78)
同時期(甲骨文と同時期の殷代)に甲骨文字と異なる文字が存在しました。それは金文【図版18】と呼ばれる文字で、金属に彫られたことからそう呼ばれます。
殷代の金文の説明をしているのに、その【図版18】には、それから千年近くも時代の下った戦国期の全く別系統の文字資料、【江稜の楚暮より出土した鉾銘】を挙げるという荒行をしでかしている。しかも正しくは「楚墓」であるところを「楚暮」と誤っている。
これは双雲の古代文字に対する理解度が極めて低い事を意味し、書道家として失笑もの、問題外である。
(p78)
殷代の金文は多くとも一○字で、主に神の名前を印すのみがほとんどでした。写真を見ても分るように…
何を以って神の名前のみと言及したのか定かでなく、またそんな説は今まで聞いた事がない。通説としては部族の世襲の職能やトーテム的な動物類を記したものだろうと言われており、神の名前とは勝手な解釈もはなはだしい。
しかも殷末の青銅器「小臣(舟+余)犠尊」などでは、もう数十字の銘文体のものがしっかりあり、「多くとも十字」などという根拠はどこから出てくるのか分からない。多分これも殷初の図象文字をさして、殷の全ての金文と勘違いしているものと思われる。
さらに「写真を見れば分るように…」とあるが、図版18の鉾の文字は「呉王夫差自作用(金+於)」と見えるもので、呉越同舟や臥薪嘗胆の故事成語でも有名なあの呉の王様夫差が自らこの鉾を作ったものであり、全く神様の名前などではなく、完全に時代関係が混乱している。
「すぐわかる中国の書」(可成屋著、東京美術)でも「(殷代・金文の)第一期は・・・人間や動物が象徴化された図像的な金文である。字数は一字から数字と少なく、各部族の標識として用いられたのではないかと考えられる」「第二期は・・・字体はまだ図像的ながら、文学的要素がかなり強まった金文である。・・・銘文は3,40字と長文化し・・・年代的には殷の後期、甲骨文の第五期に相当すると考えられる」「これらはいずれも、甲骨文と同様に、神と王との対話の記録と言う宗教的な性格を持っていたと考えられていた」とあり、「多くて10字」「神の名前を印す」などとは書かれていない。
(p80)
しかし、甲骨文や金文は国の重要な行事の時に刻まれた文字として注目されていますが、市民の間では別の流れもあったはずです。周の時代では既に竹に墨や筆で書かれたもの(竹簡)が発見されています。
確かに殷代のものと思われる陶器に筆書きしたとされる痕跡や、甲骨文で文字を刻む前の朱書の段階のものが発見されているので、筆らしきものがあっただろうことは想像に難くない。しかし周代(紀元前1046年頃−紀元前771年頃)の竹簡とは初耳であり、その根拠をぜひ知りたいところだ。1978年に発掘された「曾侯乙墓」という周代から戦国期にかかる曾国の王族の墓に竹簡が出土しているが、年代としては紀元前433年頃で現存最古のものとされ、それ以前のものと思われる竹簡は発見されていないはず。この曾侯乙墓から出土した文字資料(竹簡)は戦国期にかけてのもので、殷周期の甲骨金文から遠く離れた、戦国「楚」国の文字に酷似した別系統の文字資料となる。
近年、戦国期の竹簡が多数出土報告されているが、周代と言っても殷末からの西周とその後の春秋戦国期を総称した東周とに分かれる。もし双雲がこの東周のことを言っているのならば完全に誤謬とはみなされないだろうが、多分甲骨金文とごっちゃにして語っているので、そのことまでは理解出来ていないものと思われる。
さらに「実際に、竹の軸にウサギの毛を巻いた筆が春秋戦国時代の古墳から発見されました」に続いて図19(「石鼓文」戦国〜秦時代)が紹介されているが、この時点で記述がなされている、甲骨文字や金文の使われていた殷〜周時代(紀元前13世紀頃〜紀元前3世紀)とは大きく離れており、そのような図版が挿入されていると非常に紛らわしい。
私が思うに、甲骨文字が生まれる以前に木や竹に墨のようなもので書くという行為が各地であったのではないかと思います。文字を書くことに慣れていくうちに、文字らしきものが整いはじめ、石や骨等、堅い素材に絵を彫るという文化と合体して甲骨に文字を刻むという行為に到ったのではないかと想像するわけです
もっともらしく書いてあるように感じるが、「文字を書くことに慣れていくうちに、文字らしきものが整いはじめ」とはどういうことか。「文字らしきものを書いていくうちに文字が整っていった」というのならのならわかるが…
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以上は、たった3ページ程度の文章の中に見られる誤りや疑問点である。
しかも、素人であっても少し調べれば簡単にその誤りが指摘できる程度の誤りである。
「書道家」と称する人間がこのような誤りを含む著書を訳知り顔で出版してしまうのみならず、
誤りを指摘されても(過去にAmazonレビュー等でその誤りを指摘する書き込みがなされたが、
2008年4月頃なんの説明もなく削除されたという経緯がある)その書き込みを謙虚に受け止めることなく、誤りをそのまま放置できる感覚が、私にはなかなか理解できない。






